枯尾華・芭蕉翁終焉記

はなやかなる春は、かしら重く、まなこ濁りて心うし。泉石冷々たる納涼の地は、ことに湿気をうけて夜もねられず。朝むつけたり。

秋はたゞ、かなしびを添る、腸(はらわた)をつかむばかり也。「ともかくもならでや雪のかれ尾花」と無常閉關の折々は、とぶらふ人も便なく立帰りて今年就中老衰在りと歎きあへり。抑此翁、孤独貧窮にして、徳業にとめること無量なり。二千余人の門葉、邊遠ひとつに合信する因と縁との不可思議.いかにとも勘破しがたし。

天和三年の冬、深川の草庵急火にかこまれ、潮にひたり、薦をかつぎて、煙のうちに生のびけん。是ぞ玉の緒のはかなき初め也。爰に猶如火宅の變を悟り、無所住の心を発して、其の次年、夏の半に甲斐が根にくらして、富士の雪のみつれなければと、それより三更月下入無我といひけん昔の跡に立帰りおはしければ、人々うれしくて、焼原の旧草に庵をむすび、しばしも心とどまる詠にもとて、一株の芭蕉を植たり。

 雨中吟、芭蕉野分して盤に雨を聞夜哉

と侘びられしに、堪閑の友しげくかよひて、をのづから芭蕉翁とよぶてことになむ成ぬ。その頃円覚寺大嶺和尚と申が、易にくはしくおはしけるによりて、うかゞひ侍るに、或時翁が本卦のやうみんとて、年月時目を古暦に合せて、筮考せられけるに、「苹」といふ卦にあたる也。是は一もとの薄の風に吹れ、雨にしぼれて、うき事の敷々しげく成ぬれども、命つれなく、からうじて世にあるさまに譬たり。さればあつまるとよみて、その身は潜カならんとすれども、かなたこなたより事つどひて、心ざしをやすんする事なしとかや。信に聖典の瑞を感じける。さのどとく、草庵に入來る人々の道をしたへるあまり、とにもかくにも慰むれば、所得たる哉。

 橋あり、舟有、林アリ、塔アリ、花の雲鐘は上野か浅草か

と眼前か奇景も捨がたく、をのをのがせめておもふも、むつまじく侍れど、古郷に卿忍ばるゝ事ありとて、貞享初のとしの秋、知利をともなひ、大和路やよし野の奥も心のこさす、露とくとくこころみに浮世すゝがばや。

是より人の見ふれたる茶の羽織、ひの木笠になん、いかめしき音やあられと風狂して、こなたかなたのしるべ多く、鄙の長路をいたはる人て、名を乞、句を忍ぶ安からず聞えしかば、隠れかねたる身を竹斎に似たる裁と凩の吟行に、猶々徳-化して、正風の師と仰ぎ侍る也。近-在隣-郷より馬をはせて、来りむかふるもせんかたなし。心をのどめて思ふ一日もなかりければ、心気、いつしかに衰減して、病ム鴈(がん)のかた田におりて族ね哉、とくるしみけん其年より、大津膳所の人、いたはり深く、幻佳庵(猿蓑に記あり)義仲寺、ゆく所至処の風景を心の物にして、遊べること年あり。元來、混()本寺佛頂和筒に嗣法して、ひとり開禅の法師といはれ、一-氣鐵鋳-生(なす)いきほひなりけれども、老身くづほるゝまゝに、句毎のからびたる姿でも、自然に山家集の骨髄を得られたる、有がたくや。さればこそ此道の杜子美也ともてはやして、貧交人に厚く、喫-茶の會盟に於ては、宗鑑が洒落も教のひとかたに成て、自--躰放--躰、世-挙(こぞ)って口うつしせしも現力也。

凡、篤-實のちなみ、風雅の妙、花に匂ひ月にかゞやき、柳に流れ雪にひるがへる。須磨明肩の夜泊、淡路島の明ぼの、杖を引はてしもなく、きさだた能因、木曾路に兼好、二見に西行、高野に寂蓮、越後の縁は宗祇宗長、自川に兼載の草庵、いづれもいづれも故人ながら、芭蕉翁についてまぼろしにみえ、いざやいざやとさそはれけん、行衛の空もたのもしくや。

(奥のほそ道といふ記あり)十余年がうち、杖と笠とをはなさす、十日とも止まる所にては、叉こそ我胸の中を、道祖神のさはがし給ふ也と語られしなり、住つかぬ旅の心や置火燵、是は慈鎮和尚の、たびの世にまた旅寐してくさ枕ゆめの中にもゆめをみる哉、とよませ給ひしに思ひ合せて侍る也。

遊子が一生を旅にくらしてはつつと聞得し生涯をかろんじ、四たびむすびつる深川の庵を叉立出るとて、鶯や笋籔に老を鳴人も泣るゝわかれなりしが、心待するかたがた、とにかくかしがましとて、ふたゝび伊賀の古郷に庵をかまへ、(三か月の記あり)爰にてしばしの閑素をうかゞひ給ふに、心あらん人にみせばや、と津の國なる人にまねかれて、爰にも冬篭りする便ありとて、思ひ立給ふも道祖神のすゝめ成べし。九月廿五日、膳所の曲翠子より、いたはり迎へられし返事に、此道を行人なしに秋の昏と聞こえるも終のしをりをしられたる也。

伊賀山の嵐、紙帳にしめり、有ふれし菌(クサビラ)の塊積(サカエ)にさはる也と覚えしかど、苦しげたれば例の薬といふより水あたりして、長月晦の夜より床にたふれ、泄痢、度しげくて、物いふ力もなく、手足氷リぬれば、あはやとてあつまる人々か中にも、去來京より馳くるに、謄所より正秀、大津より木節・乙州・丈州、平田の李曲つき添て、支考惟然と共に、かゝる歎きをつぶやき侍る。もとよりも心神の散乱なかりければ、不浄をはゞかりて、人々近くも招かれず、折々の詞につかへ侍りける。たゞ壁をへだてゝ、命運を祈る聲の耳に入けるにや。

 心弱きゆめのさめたるはとて、旅に病て夢は枯野をかけ廼る

また、枯野を廻るゆめ心ともせばやと申されしが、是さえ妄執ながら、風雅の上に死ん身の道を切に思ふ也。と悔まれし。

八日の夜の吟也。各はかなく覚えて、

賀會祈祷の句

落つきやから手水して神集め  木節

風の空見なをすや鶴の聲    去来

足がろに竹の林やみそさゞい  惟然

初雪にやがて手引ん佐太の宮  正秀

神のるす頼み力や松のかぜ   之道

居上ていさみつきけり魔の貌  伽香  居上(すえあげ)

起さるゝ馨も嬉しき湯婆哉   支考  

水仙や使につれて床離れ    呑舟

峠こす鵬のさりや諸きほひ   丈草

目にまして見ます顔也霜の菊  乙州

 是ぞ生前の笑納めめ也。

木節が薬を死迄もと、たのみ申されけるも實也。人々に定にかゝふる汚レを耻給へば、坐臥のたすけとなるもの呑舟と舎羅也。これは之道が貧しくて有ながら、切に心ざしをはこべるにめでゝ、彼が門人ならば他ならずとて、めして介施の便とし給ふ。そもかれらも縁にふれて、師につかふまつるとは悦びながらも、今はのきはのたすけとなれば、心よはきもことはりにや。各がはからひに、

麻の衣の垢つきたるを恨みて、よききぬに脱かはし、夜の衣の薄ければとて、錦繍のめでたきをとゝのへたるぞ、門葉のものどもが面目なり。九日十日はことにくるしげ成に、其角、和泉の府淡の輸といふわたりへ、まいりたるたよりを、乙州に尋られけるに、なつかしと思ひ出られたるにこそとて、やがて文したふめてむかひ参りし道たがひぬ。

予は、岩翁亀翁ひとつ船に、ふけゐの浦心よく詠めて堺にとまり、十一日のタべ大坂に着て、何心友く為きなの行衛、覚束なしとばかりに尋ければ、かくなやみおはすといふに胸さはぎ、とくかけつけて病床にうかゞひより、いはんかたな懐(オモイ)をのべ、力なき聲の詞をかはしたり。是年ごろの深志に通じて、佳吉の神の引立給ふにやと歓喜す。わかのうらにても所つる事は、かく有べしとも思ひよらす。蟻通の明神の物とがめ改きも.有がたく覚侍るに、いとゞ消せきあげて、うづくまり居るを、去来・支考がかたはらにまねくゆへに、退いて妄味の心をやすめけり。膝をゆるめて病顔をみるに、いよいよたのみなくて、知死期も定めなくしぐるゝに、

吹井より鶴を招かん時雨かな 晋子(其角)

と祈誓してなぐさめ申けり。先頼む椎の木もあり、と聞えし幻住庵はうき世に遠し。木會殿と塚をならべてと有したはぶれも、其のきさらぎの望月の頃と願へるにたがはず。常にはかなき何どものあるを前表と思へば、今さらに臨終の聞えもなしとしられ侍り。露しるしなき薬をあたゝむるに、伽のものども寝もやらで、灰書に、

うづくまる薬の下の塞さ哉    丈州

病中のあまりす上るや冬ごもり  去來

引張てふとんぞ塞き笑ひ撃    惟然

しかふれて次の間へ出る塞さ裁  支考

おもひ寄夜伽もしたし冬ごもリ  正秀

□とりて菜飯たかする夜伽裁   木節 (□=門の中に亀)

皆子也みのむし塞く鳴盡す    乙州

十二日の申の刻ばか久に、死顔うるはしく睡れるを期として、物打かけ、夜ひそかに長櫃に入て、あき人の用意のやうにこしらへ、川舟にかきのせ、去來・乙州・丈草・支考・惟然・正秀・木節・呑舟(寿貞が子)次郎兵衛、予とてもに十人、笘もる雫、袖塞き旅ねこそあれ、たびねこそあれ、とためしなき奇縁をつぶやき、坐神称名ひとりびとりに、年ごろ日頃のたのもしき詞、むつまじき教をかたみにして、誹諧の光をうしなひつるに、思ひしのべる人の名めみ慕へる昔語りを今さらにしつ。東南西北に招かれて、つゐの栖を定めざる身の、もしや奥松島越の白山、しらぬはてしにてかくもあらば、聞て驚くばかりの歎ならんに、一夜もそひてかばねの風をいとふこと本意也。此期にあはぬ門人の恩いくばくぞや、と鳥にさめ鐘をかぞへて伏見につく。

ふしみより義仲寺にうつして、葬禮.義信を盡し、京大坂大津膳所の連衆、披(被カ)官従者迄も、此翁の惰を慕へるにこそ、まねかざるに馳来るもの三百余人也。浄衣その外、智月と乙州が妻ぬひたてゝ着せまいらす。則、義仲寺の直愚上入を、みちびきにして、門前の少引入たる所に、かたのごと木曾塚の右にならべて、土かいおさめたり。をのづからふりたる柳もあり。かねての墓のちぎりならん、とそのまゝに卵塔をまねび、あら垣をしめ、冬枯のばせをを植て名のかたみとす。常に風景をこのめる癖あり。げにも所はながら山田上山をかまべて、さゞ波も寺前によせ、漕出る舟も観念の跡をのこし、樵路の鹿田家の雁、遺骨を湖上の月にてらすと、かりそめならぬ翁なり。人々七日が程こもりて、かくまでに追善の輿行、幸ヒにあへるは予也けり、と人々のなげきを合感して、愚かに終焉の記を残し侍る也。程もはるけき風のってに、我翁をしのばん輩は、是をもて回向のたよりとすべし。
                                    於粟津義中寺 牌位下 晋子書(其角)