メッセージ(3)


其角とは誰か

(1)
江戸の俳諧師・蕉門の1番弟子・宝井其角(たからいきかく)をご存じでしょうか。
元禄15年12月14日、赤穂浪士の吉良邸討ち入りの前日に、大高源吾と両国橋でばったり出会った其角が
「年の瀬や水の流れと人の身は」と言いかけ、源吾が「明日待たるゝ その宝船」と付句を返したというエ
ピソードは有名ですが、これは歌舞伎作家が作った「松浦の太鼓」でのストーリーで、フィクションです。

では、忠臣蔵と呼ばれる一連の赤穂事件について、其角がどうのような考えを持っていたかといいますと、
其角は「うぐひすに此芥子酢はなみだ哉」と詠んでいます。

つまり、鶯に摺餌を与えるところを、間違えて芥子酢を食わせたような酷さだというのです。

赤穂の藩士、富森春帆、大高子葉、神崎竹平らが俳諧の座に出ていたのは事実で、其角はこれらの名前も
顔もよく覚えていたのでしょう。年輪も行かない若い者を死なせることになったことの顛末を哀しんで、
うぐいすに芥子酢を与えたようなものだと詠んだのです。この出来事を「忠臣」といった言葉で美化して
はいないのです。

(2)
今日、其角のエピソードというのがいろいろ残っていますが、それらの大半は「其角バナシ」といって後
世の戯作作家や訳知りの俳人が作ったフィクションではないかと思われます。

たとえば、松尾芭蕉が宝井其角に宛てたという書簡「大酒忠告状」があります。
この書簡の初出は、松村桃鏡編『芭蕉翁文集』(宝暦十一年=1761年)のようで、これを典拠に二次三次
資料が作られたであろうことは想像に難くなく、雪爪園耳得編『芙蓉文集』(宝暦十三年=1763年)やら
『蕉翁消息集』(天明六年=1786年序、高桑蘭更編著)等に収録されており、明治以降も『最新書簡大辞
典』(昭和十年初版 愛之事業社 監修國學院大學教授齋藤惇)や矢田挿雲著『江戸から東京へ』(中公文
庫、初版1975年、新版1999年)等にも載っております。

しかし、今日、この芭蕉書簡を本物だと思う国文学の研究者はほとんどいないと思われますが、いまだに
あちらこちらに孫引きされて、本当の話だとしている俳人も多いのです。

(3)
さて、わたくし共NPO法人俳句&連句と其角は、江戸という文化を理解する方法に、其角の顕彰を挙げ
ており、毎年四月の第一土曜、其角の墓がある「上行寺」にて「晋翁忌」を催しております。また、近い
将来に「其角学会」を設立しようと準備を始めております。

世間の人が其角を知るきっかけは「其角バナシ」からですが、こうした真偽不明のエピソードは、日本人
が江戸をどのように受容して来たかの興味ある研究ではありますが、中世の無常観の批判者である其角の
思想は殆ど研究されておらず、奇才というべき実作の方法についても今日に継承する者はおりません。

つまり「其角とは誰か」という問いに答えられていないのではないか。
いまだ其角研究は、江戸とは何かという問いと共にナゾを含んでおります。
是非、俳句と連句とを楽しみながら其角の実像について、わたくし共といっしょに考えてください。


  平成27年8月盛夏  NPO法人俳句&連句と其角

★トップのページへ‘戻る’