Kifuu’s 俳諧 



連 句 革 新 の 時 代




いまもっとも時代が待ち望んでいるのは、俳諧のリバイバルである。
二上貴夫(ふたかみきふう)      



 連句文芸の歴史を振り返ってみると「座の移動」という「旅」をメディアにした時代が始まりであり、俳諧師は「座のネットワーク」を構築し行脚しながら文芸活動をしていた。 師より庵号を継承するとは、この「座のネットワーク」を引き継ぐことであった。
  明治になって新聞というマスメディアが広がり、大正時代にはラジオが普及しだすと、それまでの都市の情報・文化の伝播の担い手であった俳諧師の仕事は無くなってしまった。 俳文芸の主流は「ホトトギス」のような「全国雑誌」を媒体とした俳句結社の時代に移行するが、俳諧師はこのメディの波に乗り遅れた。そして戦中戦後を挟み、連句は廃れてしまった。
 ところが、昭和の終わりに、奇跡的に連句文芸は復活する。 対面対座の「座」が新鮮で、連句の席に詩人が加わり、平成のはじめ空前の「連句ブーム」が興る。この波は平成十(一九九八)年、時代にふさわしい連句形式は何かを模索し、 形式自由によるコンテスト「連句文芸賞」が開催される。
 しかしながら、連句がマスメディアにページを持つまでには到らなかったし、いっぽう、連句を巻くメディアは葉書かファックスによる文音が主で、電子メールが登場して付けの 往復時間は大幅に短縮されても、連句の「郵便的」という性格は如何ともし難かった。そして、連句ブームは去って行ってしまった。


 俳句がどこまでも一人芸で、それに対して、連句は二人で巻けば二人芸、三人四人で巻けば三人芸、四人芸といった対話詩であり協話の詩でなくてはならない。つまり、コミュニケーションの メディアが必要なのです。昔の俳諧師のメディアはFace to Faceな「座」を行脚して歩く「旅」がメディアであった。


 それが計らずも、コロナ禍によって対面の集会が自粛されたのを切っ掛けとして、テレビ機能付きの「ズーム」や「スカイプ」によるオンラインの「座」が始まった。同場ではないが、 リアルタイムで遠隔地を結び同時に進行する付合は、まさに新しい「座」の実験である。同時の付合いという点では、メールによるチャットで巻いた経験があるが、声も顔も見えない文字の表示だけでの進行は、 襖一枚隔てた隣の部屋で巻いているような感覚で、あまり興が乗らなかった。しかし、今回は顔を見ての付合いである。実作による実験を重ねてみなくては分からないが、第一次連句ブームが「歌仙」 の形式主義に替わる新形式の模索であったのに対して、何かしら「座」そのものを復元しうる興味がある。ともかく、第二次連句ブームが興るかも知れない予感がある。


 この歴史的な課題に、寺田寅日子(一九三五年十二月三十一日没)、勝峰晋風(一九五四年一月三十一日没)、岡本春人(一九九二年十月十一日没)、橋間石(一九九二年十一月二十六日没) といった先人たちが道を作ってくれていた。 大正時代以降の社会構造とメディアの変化に、このままでは連句は時代に取り残されてしまうとの危機意識を持って新形式に取り組んでいたのだと思います。


 これらを集約してみますと準日本的な「絵巻物形式」といった思想に、結実していこうとしている様に思います。今や連句はようやく日本人の形式にそうものになるのでしょう。


                    2020.05