2019.10.22.祝|木|内|鶴|彦|カタカムナ|を語る

第2部 15:00受付〜17:00「木内鶴彦カタカムナを語る」
    会場/西荻窪「ほびっと村学校」地図をご覧ください
  懇親会/17:30〜19:00(ほびっと村2Fの「バルタザール」)
  申込み問合せ先/オフィスふとまにあ
  参加費4000円、懇親会3500円。定員20名で〆切ます。ご予約下さい。


木内 鶴彦(きうち つるひこ、1954年 - )は、コメットハンター(彗星捜索家)。長野県南佐久郡小海町出身。佐久市在住。小学5年生の時に池谷・関彗星を見て以来、彗星に興味を持つ。学生時代には天文同好会に所属。卒業後も長野県臼田町(現佐久市)にて天体観測を続ける。臨死体験者としても有名。航空自衛隊にて運航管理者(ディスパッチャー)として勤務していた22歳のとき、当時としては大変珍しい上腸間膜動脈性十二指腸閉塞で一度死亡を確認されるも30分後蘇生した。死後蘇生したことが医師のカルテに記録されている例としては国内で唯一である。その経過は学会で報告され、本人側の記録も木内の著書として刊行されている。この体験により「この宇宙とは何なのか、自分とは何なのか」といった問いを追求せざるを得なくなり、その疑問が天体観測に向かう原動力になったという。回復後は、航空自衛隊を退官し、彗星捜索を再開し、木内は電卓と大型双眼鏡での眼視によって、当時行方不明になっていたスウィフト・タットル彗星を再発見するほか彗星を3つ発見した。 木内鶴彦 2009年7月、皆既日食観測のため訪れた中国にて、胃からの大量出血による吐血と下血のために倒れた。その後、中国政府の援助もあり、約1カ月の入院ののち、日本へ帰還したが、その間、二回目、三回目の臨死体験をする。 2010年からの活動は、全国で講演会・観望会を行い、天文や環境問題を説いて回っている。特に光害と、そこから派生する自然環境破壊を強く訴える。光害への取り組みのきっかけは、1994年「第一回世界将来世代京都フォーラム」において、木内は、自ら再発見したスウィフト・タットル彗星が、将来地球に衝突する可能性を主張した際に始まる。ある植物学者より、同年ヨーロッパで発表された「夜が明るすぎて植物が休息する時間が少なくなっているため、2011年頃から植物が枯れ始める」という説を教えられ、彗星の衝突よりも、光害のほうがより人類にとって緊急性が高いという認識を得たからであるという。 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照しました)
   
木内鶴彦カタカムナを語る(聞き手・二上貴夫)  木内先生は高校生の時に、カタカムナの発見者・楢崎皐月に会うために長野から東京へ出かけたことがあるそうです。それは楢崎皐月が宇野多美恵と共に『相似象会誌』を創刊した1970年10月以降になるかと思いますが、当時はカタカムナがどのようなものか、まだ全容が解明されていなかった頃でしたので、木内先生はカタカムナを知りたくてではなく、異端の科学者・楢崎皐月に会いたかったのだと思います。 その後、木内先生は臨死体験によって「意識体」という「五次元」の世界を体験したと著書に書かれて居られますが、この度は、二上が聞き手となって、木内先生が見たという「膨大な意識体」と「カタカムナの潜象」との接点とは何か、木内先生のお話しを伺いながら考えてみたいと存じます。このような少人数で、直に木内先生とお話しができる、またと無い機会です、万障お繰り合わせの上、ご参加ください。
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