
■趣旨
あなたは江戸の俳諧師・芭蕉門の高弟・宝井其角をご存じでしょうか。
あなたは宝井其角(たからいきかく)が大山を詣でていたのをご存じでしょうか。
あなたは宝井其角(1661年7月17日〜1707年2月30日)のお墓が伊勢原にあるのをご存じでしょうか。
其角のお墓は神奈川県伊勢原市上糟屋の「上行寺」にあります。
(上行寺は、日蓮宗冨士派の古刹で、昭和38年4月に東京都内の芝・高輪より伊勢原市上粕屋に移転しまし た。
蘭学者の桂川甫周や将棋宗家の大橋宗桂や槍の名手の丸橋忠弥の墓もここにあります)
其角は元禄4年8月、大山・榎島・鎌倉への旅に出、 伊勢原では「よこ雲や離ればなれの蕎麦畠」と詠み、
大山では「腰押やかゝる岩根の下もみぢ」と詠みました。帰路は由比ヶ浜で「朝霧に一の鳥居や波のおと」と
詠み、鶴岡八幡宮に参拝。当時、江戸の庶民にとって大山詣は一生に一度の物見遊山であったと思われますが、
其角にとっても楽しい吟行の旅であったのです。

ところで、元禄赤穂事件で自刃した赤穂浪士の富森助右衛門(俳号春帆)、大高源吾(俳号子葉)、
神崎与五郎(俳号竹平)らは江戸勤務の折り俳諧の座に出ておりましたので、其角と面識がありました。
こうしたことから歌舞伎の演目「松浦の太鼓」に、両国橋で笹売りに身をやつした大高源吾にばったり出会った
其角が「年の瀬や水の流れと人の身は」と言いかけ、
源吾が「明日待たるゝその宝船」と付けを返す有名な場面がありますが、
実はまったくのフィクションです。
其角は元禄赤穂事件で自刃して果てた若い浪士を悼んで、
「うぐひすにこの芥子(からし)酢は涙かな」と詠んでいます。
句意は、お上の処断は、年端もいかない若者に、まるで鶯の摺り餌に辛子を混ぜて与えたような、
酷い仕打ちだと解釈出来ます。
こうしたエピソードが示しているように、其角は江戸市民にとって英雄であったのですが、
時代が経って、其角の名が世に忘れられようとしているのは残念なことであります。
わたくし共は、其角没後300年に当たる2006年「其角三百回忌」を上行寺にて営みました。
これを縁に、毎年4月の第1土曜日に上行寺にて「晋翁忌(其角忌)」が行われることとなり、
この十周年を記念して、2015年「宝井其角俳句大会」が新たに創設されました。
2020年第5回は、「二十句詠」と「俳文」を募集致します。
全国からの応募をお待ちしております。奮ってご応募ください。
主催者「NPO法人俳句&連句と其角」
|